共同体と個の価値両立を 経済の将来決める課題に
Yumiko Murakami
Dec 22, 2025
※この記事の内容は、弊社ゼネラル・パートナーの村上由美子が共同通信社に寄稿したものです。
ドキュメンタリー監督である山崎エマさんの作品「インストゥルメンツ・オブ・ア・ビーティング・ハート」が国際的に注目を集めている。日本の公教育の独自性を浮かび上がらせる内容で、米映画界最大の祭典アカデミー賞で今年、短編ドキュメンタリー賞の候補になった。その長編版の映画「小学校~それは小さな社会~」も昨年公開され、話題を呼んだ。
規範の強さ
作品は東京の公立小学校に1年間カメラが入り、児童の日々の学校生活を淡々と撮影したものだ。教室の清掃や給食の配膳、そして入学式で新入生を迎えるための準備―。いずれも日本の小学校では子どもたちが主体となって役割を決め、協働して進めている。
海外では清掃を専門スタッフに任せ、行事の準備を保護者や教師が引き受けるケースが多いとされる。児童が学校の運営の一部を担い、共同体の一員として機能するという日本の学校生活は国際的にみて特異であるようだ。
こうした生活に内包される公共性や秩序、責任感が幼少期から形成され、社会全体のリスク選好度や意思決定に長期的な影響を与えていることを示唆している。
米大リーグのワールドシリーズで球団初の2連覇を成し遂げたドジャースの山本由伸投手が、10月に行われた試合の後ベンチ周辺のごみを片付ける姿が反響を呼んだ。スター選手が自発的に後片付けをする行為は米国では例外的だが、日本で特段珍しいものではない。幼少期から自然に培われた習慣が国際舞台でそのまま表れた形だ。
これらの事例は、日本社会に根付く共同体規範の強さを照らし出す。秩序と公共性を重んじ、コミュニティーの一員としての役割を誠実に果たす姿勢は、日本の社会システムへの信頼を高めてきた。
他方、この規範が経済や産業の革新力に対する課題を浮き彫りにしている面もある。調和の重視は異論や非連続的な発想を抑え、失敗を許さない風土は挑戦をためらわせる。既存の枠から逸脱する行動が敬遠されれば、個々の創造性はおのずと萎縮する。
日本でイノベーションの創出が難しいとされる背景には、こうした文化的特性が深く影響している。革新の源泉は異質な視点の衝突や、既存秩序への問いかけにある。しかし日本の教育や組織文化は秩序の維持を優先し、異質性の受容に慎重な傾向がある。
多様性の尊重
こうした構造的とも言える課題を克服するには、単なる制度改革だけでは不十分だ。社会全体での価値観の転換が不可欠となる。多様性を尊重する姿勢を教育の初期段階から育み、学校と企業など組織の双方で「異論を排除しない文化」を定着させる必要がある。
例えば、自ら問いを立てて学ぶ探究学習やプロジェクト型学習などを拡充し、主体的な学びを制度として根付かせる視点も欠かせない。
日本の人的資本投資は先進国の中で依然低水準にとどまっており、リスキリング(学び直し)や自分の属する組織、専門分野の枠を超えて働く「職業越境」を促す政策の強化が求められる。これらの措置を講じて雇用の流動性を高めれば、異なる経験を持つ人材が組織に新たな視点をもたらす効果が期待できる。
企業ガバナンスの点でも同質性に依存した意思決定方式を改め、外部や外国籍の人材登用を通じて思想の多様性を取り込む努力が必要だ。イノベーションは制度だけでは生まれず、教育や組織、労働市場が一体となって初めて可能となる。
とりわけ日本が成長戦略の柱とする新興企業(スタートアップ)育成においても、失敗を許容し、再挑戦を制度的に支える仕組みが要る。規制改革や資金調達環境の改善に加え、挑戦をたたえる文化そのものの醸成が重要性を増している。
山崎エマ監督の作品に登場する児童の学校生活や山本由伸投手の行動は、日本の規範文化が国際社会にどのように映っているかを示した。経済や産業の革新力を高めるため、共同体の規律と個の創造性という二つの価値をいかに高い次元で両立させるかが、日本経済の将来を決める核心的課題となる。

