エリザベス・ホームズの憂鬱
2023.02.14 Miwa Seki

詐欺罪で刑事訴追されていたセラノスの創業者エリザベス・ホームズに有罪の判決が下ったのは2022年1月。同年11月には禁固11年の量刑が宣告された。刑務所入りのため出頭期限は2023年4月17日に迫っている。

エリザベスと共に詐欺罪で訴えられた20歳近く年上の元恋人サニー・バルワニは2022年11月に禁固12年11か月を宣告され、エリザベスより早い2023年3月15日に刑務所入りを命じられている。

元ウォール・ストリート・ジャーナルのジョン・キャリールー記者がセラノスの虚像を暴き、その一部始終を綴った『Bad Blood』がアメリカで出版されたのは2018年。私が翻訳した日本版はかなりの時間差で2021年に出版された。邦訳の出版はちょうど進行中の訴訟のニュースがマスコミで報道され始めた時期と重なり、裁判報道をきっかけに関心を持って本書を購入してくださった読者も多かった。

私たちがESG重視型のベンチャーキャピタルを正式に立ち上げたのは、本書の邦訳が日本で出版された直後である。私にとってはベンチャーキャピタルの立ち上げ準備期間と翻訳の期間がちょうど重なっている。当時、上場株においてESG投資は新しいブームになっていたが、スタートアップ投資でESG重視を掲げるベンチャー・キャピタルは少なくとも日本には存在していなかった。私はセラノスの欺瞞を描いた書籍を翻訳しながら、スタートアップにおけるESGの重要性を改めて目の前に突きつけられるようだった。ファンドの立ち上げからしばらくして、ESGの観点からセラノスについて書いたブログがこちらである。

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前回のブログではガバナンス不在がどうスタートアップの崩壊を招くのか、また投資家としてどのような予兆に気をつけたらいいのかについて書いた。今回のブログでは、裁判の経過と結果を振り返り、スタートアップにおける不正について考察する。

裁判中の第一子出産を経て、再び妊娠したエリザベス・ホームズ

ウォール・ストリートジャーナルの暴露記事が出た直後、エリザベスは公私共にパートナーだったサニー・バルワニをすっぱりと切り捨てた。2019年に10歳近く年下のビリー・エバンズと結婚し、2021年7月に第一子を出産した。陪審員のひとりは、母親になったばかりのエリザベスに有罪の判決を下せそうにないという理由で陪審を降りた。

そして、2022年にエリザベスはふたたび妊娠し、2023年の刑期前に出産が予定されている。彼女の妊娠と出産を裁判延期のテクニックだと言う人もいるし、彼女のこれまでの行動を見る限り(本で読む限り)はさもありなんと思うが、真偽のほどはわからない。夫のビリー・エバンズはカリフォルニアで老舗ホテルチェーンを経営する一族の御曹司であり、エリザベスの莫大な裁判費用はエバンズ家が負担していると言われている。

エリザベス・ホームズ

首謀者はサニーか、エリザベスか

裁判のなかでエリザベスは年上のサニーから身も心も操られたかわいそうな若い女性創業者を演じた。スタンフォード在学中に性的暴行の被害に遭い、サニーから身体的にも精神的にも虐待されていたと訴えた。経営者としての判断ミスは認めつつも、セラノスの未来を信じていたこと、その証拠にセラノスの株式を一株も売却しておらず金銭的なメリットは何も受け取っていないことを強調した。証言台に立ったエリザベスは、投資家の心を掴んだかつての姿そのままに陪審員の注意を惹きつけた。裁判を毎回傍聴していたジョン・キャリールー記者はポッドキャストのなかで、陪審員がエリザベスに同情して無罪判決を下す可能性は十分にあると言っていた。

蓋を開けてみると、エリザベスは起訴された11件の罪状のうち4件で有罪となる。残り7件のうち4件は無罪。3件は合意に至らず「判決なし(No verdict)」となった。微妙な判決ではあったが、一部といえども有罪の評決に至ったことで、エリザベスは(量刑にて)実刑判決を受けることになった。一方でサニーには12件の罪状すべてで有罪の判決が下された。エリザベスとは違って陪審員がサニーに同情の余地を感じなかったのは明らかだ。エリザベスの出産と第二子妊娠が判決に影響を与えたことも想像に難くない。

内部告発者(とその家族)の悲劇 

セラノスの欺瞞が暴かれ刑事事件が成立したのはひとえに、命がけで内部告発を行った人たちのおかげである。少数の重要な内部告発者の中で最も注目を浴びたのは、タイラー・シュルツだった。

タイラー・シュルツの祖父はジョージ・シュルツ。ジョージ・シュルツはレーガン政権で国務大臣を務め、冷戦終結の立役者として崇められる共和党の重鎮である。ジョージ・シュルツはエリザベスに惚れ込み、セラノスの取締役としてヘンリー・キッシンジャーなど他の共和党重鎮をセラノスに呼び込んだ。トランプ政権で国防長官を務めたジム・マティスもまた、「チーム・エリザベス」の一員だった。

孫のタイラーはスタンフォード大学在学中に祖父の紹介でエリザベスに出会い、彼女のビジョンに感銘を受けてセラノスに入社した。だが、数か月もしないうちにその不正に気づいて祖父のジョージに訴えるがまったく耳を貸してもらえなかった。セラノスを辞めたあとはセラノスからの嫌がらせや脅迫を受け、私立探偵に尾行され、訴訟を起こされて、タイラーが負担した弁護士費用は40万ドル(5千万円以上)にのぼった。弁護士費用を支払うためにタイラーの両親(シュルツの息子夫婦)は自宅を抵当に入れて銀行から融資を受けた。祖父のジョージとは断絶した。金銭的にも精神的にも追い詰められ、自殺も頭をよぎったという。

エリザベスへの量刑判決を出したあとの法廷で、裁判官が傍聴席に向かって「何か話したいことがある方はいますか?」と呼びかけた。するとタイラーの父親が立ち上がった。エリザベスの目を見てこう言った。「息子(タイラー)は枕元にナイフを置いて寝ていた。あなたに殺されるかもしれないと恐れていた。あなたは私たちの家族を利用し、めちゃくちゃに壊した。あなたはサニーに虐待されたと言うが、私たち家族はあなたに虐待された」

若きカリスマの暴走

2022年11月に破綻したFTXの創業者サム・バンクマン・フリード(以下SBF)が当局に拘束されたのは同年12月のことだった。現在は足輪をつけられて自宅で拘束されながら裁判を待っている状態だ。(エリザベスは足輪をつけられておらず、この扱いを不公平だとする意見もある)。

SBFとエリザベスにはいくつかの共通点がある。1)白人、高学歴、リベラルであること、2)政治家や有名人を味方に引き込み、自分の信用を嵩上げしたこと、3)経営陣を身内で固めたこと、4)カルト的な文化を築き、神秘主義を盾に情報公開を避けたこと、4)投資家の「Fear of missing out(次の大きな波を見逃す恐れ)」に上手につけ込むストーリーを紡いだことである。

サム・バンクマン・フリード

SBFはジョージ・ソロスに次ぐ大口の民主党寄付者だった。エリザベスは共和党重鎮を味方に引き入れつつ、一方でクリントン一家と親密な関係を築き、ヒラリー・クリントンの選挙活動では寄付集めのイベントを開いていた。SBFは、傘下の投資会社であるアラメダ・リサーチの社長に恋人を配置し、顧客の金を運用させていた。エリザベスは恋人のサニーをナンバーツーに指名し、実弟やその友人で脇を固めていた。どちらの会社も秘密主義を徹底して外部への情報提供を極力拒んでいた。そしていずれの案件に対してもプロであるはずの投資家が十分なデュー・デリジェンスを行っていなかったのは明らかである。

投資家はスキャンダルから学べるか?

答えはイエスであり、ノーでもある。上記に挙げた2人の共通点は注意すべきポイントではあっても不正検知の指標として十分ではないし、例外もあり得る。

私たちMPower Partners Fundはデューデリジェンスの過程にESGの項目を設けているが、経営陣が意図的に嘘をついている場合には残念ながら機能しない。大きな嘘は小さな嘘よりも検知しにくい。カリスマ経営者には少なからず「現実歪曲空間」を作り出す能力があり、それが不可能を可能にする原動力になることもあれば、詐欺に終わる場合もある。その一線を見分けるのはプロの投資家にも難しい。

投資家はある意味で潜在的に「騙されたい」と思っている。損をしたいという意味ではなく、大風呂敷を現実にして欲しいと願っているという意味で。一見不可能な目標を掲げて人々を巻き込む能力は優れた起業家に必須である。また起業家の壮大なビジョンを信じる能力も、優れた投資家に必須なのだ。私たちにできるのは、大きな不正は一定の確率で起こり得るし誰もが騙される可能性があることを自覚したうえでなお、大胆な仮説を立ててリスクを取り続けることくらいなのかもしれない。

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